自然災害に思う事(2)
前回は6年前の東日本大震災、未曾有の大地震と津波の中でのスタッフの頑張りとプロ意識を回想しましたが、今回は、当時お客様がどのような状況であったか、私達の関わりといっしょにその一部を紹介したいと思います。
〜生かされた私達ができる事〜
駆け上がった歩道橋の上から、堤防が決壊して、ご自分の店舗や設備が流されていく様子を見ていることしか出来なかった小売店さんがいました。
また、沿岸部が津波により壊滅的な被害を受けたため、海苔養殖者が続々と廃業したことに連鎖し、海苔の加工機械を取り扱うお客様が、やむを得ず廃業されました。
その他にも、様々な事情で事業の正常な継続が今もなお困難なお客様が数多くいらっしゃいます。
一方、ピンチの時こそチャンスと、同業他社全てが休業する中、休日完全返上の瞬発力で復興し、ゴールデンウイークには、通常通り、日本三景松島の大型遊覧船運行と集客を遂げたお客様もいらっしゃいます。
こうした未曽有の震災の影響で、人々の心に余裕が無くなったせいか、労務トラブルが多発し、震災前には当事務所にご来所されたことがなかった顧客企業の社長や役員の方々も、当事務所に続々と相談に来られました。
それだけ頼りにしていただいているということに、命が助かった意味を感じたような気がしました。
そして、こうして仕事が出来ることを有り難く、今こそ自分が出来ることをする時だと、強く感じた次第です。
さらに、震災復興に関わる特例措置の利用等の面では、お客様を救うべく、知力を振り絞ったものでした。
〜子供達の命を救った的確な判断と使命感〜
また、こんなエピソードもありました。
3月11日、津波が押し寄せることを速報によりキャッチした宮城県名取市沿岸に近い、平屋建ての保育園では、最寄り駅の2階ホームに園児を避難させようと申し出ましたが、安全上の理由で断られました。
失意の中、保育園の園舎が新築の鉄筋コンクリートで丈夫であること、玄関上部の屋根が平らであることを頼りに、そこへ避難することを英断したのです。
玄関から屋根にハシゴをかけ、見事に一丸となった職員が、あらん限りの知恵と力を振り絞り、0歳児十数人を含めた園児120名を全員、屋根の上に避難させたのです。
そして、ありったけの布団を屋根に上げて園児をくるみ、その上には屋根代わりにブルーシートを広げて職員が支え持ち、降り始めた雪と風の寒さから園児を守りました。
その後、津波が押し寄せましたが、全員が無事で、結果的に一人の怪我も無く、全園児を保護者にお返しすることが出来たのです。
私は後日、このお話を園長先生から伺ったのですが、思わず涙しました。
その時、一人もハシゴから落ちる子供がいなかったこと、又、屋根から落ちる職員も一人もいなかったことを考えると、全員の無事は奇跡的なことだったと思います。
これをなし得た背景には、リーダーの的確な判断、瞬発力と統率力があったことはもちろんです。
加えて、何としても子供を守り切りたいという、卓越した使命感が、職員一人一人に共通の認識として漲っていたからこその、奇跡だったのだと思います。
このお客様の場合は、良い結果となり、自分のことのように嬉しく思っています。
いずれにせよ、どのような形であれ、お客様の「頑張り」に触れたとき、そうしたお客様を支えられるよう、また、その頑張りに負けぬよう、私たちも、さらなる精進を誓いあうのです。
震災に関連する話は、すればするほど止まらなくなります。
でも、今回はこの辺にしておき、またの機会に述べさせていただきたいと思います。